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Channel: オタンコナス印(夫+アン+コナス+マーク)のわが家
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アンちゃんの最終活動

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2017年10月5日木曜日
大好きなアンちゃん、8歳9ヶ月7日で私のそばをあっという間に駆け抜けて行ってしまいました。もう一週間経つなんて信じられないです。


最終日のアンちゃんの様子を残しておきたいと思います。長い文になります。

深夜2時
アンがケージの隅で嘔吐。呼吸がとても速い。
抱くと息が苦しく、すぐに家族のベッドに下ろす。ベッドの上をウロウロして落ち着ける場所を探していたが、苦しくて伏せていられない。
パパが起きてアンをリビングに連れていく。

午前6時
リビングで座ったまま寝ているパパとその横で伏せるアン。楽になったのだとホッとしたが、そうではなく一晩中苦しくて少しも眠れなかったとの事。


朝7時頃
お水を飲めていないので、リンゴを切ってあげる。食べたそうにするも食べず。すりおろしても飲まず。ささみをあげてみたがやはり食べず。
わが家にスポイトが無かったので、ストローで口の横から水を流し込み、ほんの少しだけ舐めた。

午前8時
苦しそうなのに、日課の娘の見送りをしてくれた。ゆっくり歩いて玄関まで来て、さすがに抱っこは苦しくてせがまなかったが、玄関でしっかり立って行ってらっしゃい❗️
娘が意識のあるアンを見たのはこの時が最後。

午前9時すぎ
動物病院に行く。いつもなら先生や看護師さんにかまって!と大きな声でアピールするが、少しも鳴かず、カートの中で苦しそうに伏せている。苦しさの程が伺える。先生が酸素室にアンを連れていく。
診察室に呼ばれる。アンは酸素室から私が通るのをしっかり見ていた。酸欠がひどいので酸素室で状態を整えてからレントゲンを撮るとの事。私はその間にちょっとだけ仕事に行ってくることにして診察室を出る。その時も私をしっかり見ていた。

午前10時半頃
パパを運転免許更新に送りつつ、駅前のパーキングに停車。スマホを見たら動物病院から7回着信履歴があった。嫌な予感。慌てて病院に電話したところ、アンが急変したのですぐに戻ってきて欲しいとの事。
パパにも電話し、すぐに車で引き返す。不安な気持ちで受付に声をかけると意外と明るい声が返ってきたのでちょっと安心したが、診察室のアンは既に麻酔で意識なく、機械で呼吸し、時折、先生がアンの背中をつかんで、肺の水を振り出しているような状態。舌が真っ青。
でも、そこで見ている間にも舌の赤みが増したようにも見えた。
待合室でしばらく待機。パパも病院に駆けつけた。しばらくはこの処置が続く為、一旦自宅で待機。

午後4時
午後の診察再開を待って電話でアンの様子を聞く。
レントゲンでは、アンの肺はこれまでになく真っ白に写ったそう。肺の水はもう出ないし、利尿剤でおしっこも出ているが、2度目のレントゲンでもほとんど改善が見られないとの事。引き継ぎ、自宅待機。
家事をしながら、時折、アンが天使になってしまうかもしれない不安と闘う。

午後6時半過ぎ
病院から電話。
期待したのは、アンの体調が持ち直し、酸素室で落ち着いているという情報だったが、実際は依然肺は真っ白で状況は改善していないという情報。麻酔も長くなって心臓への負担も大きく心臓が持たないリスクと機械で呼吸を続けると筋力が弱り、自力呼吸が出来なくなるリスクを伝えられ、一旦麻酔から覚めさせ、アンの自力に任せてみますか?どうしたいですか?との事。
娘に「アンは酸素室で呼吸を整えてもらってるよ。」と嘘をついていたので詳しく聞くことも出来ず、どちらを選ぶべきかは私には分からないからアンが元気になれる方にしてほしい!としか答えられない。

診察時間終了前の午後6時50分頃
パパと二人で病院へ。
先生のお話は電話と変わらない。パパはすでに看取りと覚って、家に連れて帰るという。私はまだアンが生き延びるわずかな可能性を探っており、家に連れて帰る事を即座には決められなかった。そんな私の様子を察し、徐々に麻酔を弱くして、アンの呼吸が自力で保てるのか見てみましょうということになった。

しばらくして違う先生が酸素の機械を待合室に持ってこられた。まだ家に連れて帰ると決めてないのに?という気持ちと、家に連れて帰るしかないってことか・・・という二つの気持ちが複雑。
夫が車を取りに帰っている間、待合室で院長先生と話し、アンが厳しい状態であると私も理解し、ようやく家で看取る決断が出来た。それでもまだ家で何か出来ることはないかと先生に聞いて、先生に薬をもらった。先生はこれを使うことはないと思っていたかもしれないが、少しでもなんとかしたい私の気持ちを思い、薬を出してくださったのだと今は思う。

夫が戻って来て、機械を積み、家まで呼吸が持つようにと麻酔の機械を付けたままで、私がアンを抱っこして車に乗せる。
先生方が深々頭を下げる中出発。パパはすでに運転しながら泣いていたようだ。私は車の中で意識のないアンに「お家に帰るよ。頑張ったね!」とずっと声をかける。

家に着いて玄関に迎えに来た娘がショックを受けているのを感じたが慰める暇はなく、「アンは意識がないから。朝からこういう状態だから。」とだけ話し、酸素室の準備のため、クレートを出してもらう。
この後の記憶が曖昧ですが、クレートに寝かしたが何かあって抱き上げ、「グウッ」とアンの声がして脱力。私の足にオシッコが垂れた。これが最後の瞬間と思う。その後もう肺の動きも心拍も感じられない。午後8時35分頃。
病院に電話でその事を話すと「力及ばず・・ ・」と先生の一言。
泣いている娘。私は娘に喝をいれなければならないからか自分でも意外なほどしっかりしていた。

その後、病院でアンの足に付けていた管を抜いてもらい、機械を返却し、再度自宅に戻る。
アンをソファの好きだった場所に寝かす。
マークも分かっているようで、アンのそばに付き添っている。




お世話になった両家のじいじばあばにも連絡し、翌日にお別れに来てくれることになった。

アンを一人リビングに寝かすのは寂しそうで、寝室に連れていきアンちゃんと最後のお休み。

10月6日金曜日
午後4時
アンを区内のペット霊園にて荼毘に伏す。
娘もギリギリに帰宅して一緒にお見送りができた。家族三人、マーク、アンが大好きなじいじばあばで、雨の音を聴きながら最後のお別れが出来た。



ショックで2日間シクシク泣き続けた娘も火葬に立ち会って気持ちに区切りがついたようでその後は涙も見せなくなった。アンが命の貴重な経験をさせてくれたね。

アンのために手を尽くして下さった先生方が
アンが助からないと判断されてから、家族のもとで旅立てるよう、でもいきなり残酷に家族に告げず、家族の気持ちに寄り添いながら動いて下さったのが後になってよく分かった。アンが亡くなったことは悲しいけど、家で看取れたことは本当に良かった。これだけで後の辛さが全然違ったと思う。

もうアンに触れることも出来ず、話しかけることも出来ず寂しいけど、可哀相、悲しいというのはアンが喜ばないから止めよう!と娘と約束した。

マークはアンがいなくなってから、玄関の鍵を開けてもワンワン吠えなくなり、寝てばかりいる。この家に来てからずっとアン姉ちゃんがそばにいてくれたからどうして良いか分からないのかな。


いつまでもアンのベッドをそのままにしていると寂しくなるので思いきって片付けたら、マークがベッドが無い!と探してしまったので、小さいベッドをアンの居た場所に置いて落ち着く。

時間が寂しさを紛らしてくれるまで、家族でアンの可愛い思い出を話しながら過ごして行こうと思います。
家族思いの可愛いアンちゃん、家族に幸せな時をくれてありがとう!







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